奈良・平安時代には、都に収める税として「鮎(年魚)」が決められており、芦田川で獲れた良質な鮎を加工して
都まで運んでいたそうです。
明治35年(1902年)創業

お酒を楽しく飲む場所「憂の無い舘」と名付けられ、料亭旅舘として無憂舘(ムユウカン)は誕生しました。


保存食として佃煮は広く知られる調理法ですが、鮎も同様に「鮎の佃煮」として提供しておりました。

物資の集散地であった府中では、醤油や味噌、酒造りなどの醸造業も盛んでした。
甘露煮は長持ちする食材ともされることから、芦品郡域で採れた鮎を使った鮎の甘露煮も同様にご愛顧いただけました。

明治時代初期、和洋風折衷のいわゆる擬洋風建物が増え始め、役所や学校・駅など多くの人が集まる建物は擬洋風が多かった為か、日本家屋が並ぶ中、無憂舘も擬洋風の店構えとなったようです。
そして、創業から123年を迎え現在は5代目へ受け継がれております。
「一子相伝、変えない強さ」
先人が築いたものを大切にし、精進してまいります。


正岡子規の高弟として称される『河東 碧梧桐』は、
鮎の句を詠み、鮎好きとしても知られる俳人だったそうです。
その河東碧梧桐も無憂舘の鮎の甘露煮を食しました。
府中本店の看板〘舘憂無〙は、河東碧梧桐がかいたものです。
「山椒魚」「ジョン万次郎漂流記」「黒い雨」などで知られ、明治から平成にかけて活躍した日本の小説家・詩人である『井伏 鱒二』から、同じく詩人である『木下 夕爾』へ送られた手紙に、『無憂舘』の鮎の甘露煮を食したことが記されておりました。
福山市出身のふたりは互いに親交が深かったそうで、手紙によると木下夕爾から井伏鱒二へ無憂舘の鮎の甘露煮が贈られたそうです。
※ふくやま文学館所蔵資料シリーズ『福山の文学』第27集
井伏鱒二 木下夕爾宛 書簡集 参考

